福岡藩祖黒田官兵衛(如水)正室大遠忌 記念黒田顕彰催事「光姫忌」
光姫忌 -8月26日-
光姫さまは福岡の礎を築いた黒田官兵衛如水公に生涯にわたり、ただ一人の妻として愛され、そして官兵衛公を支え続けた女性です。
圓應寺は光姫さまが建立した黒田家の菩提寺です。ご命日である8月26日を前に『光姫忌』としてご法要と催事を行いお祀りしています。
~紙芝居「光姫」より~
天下分け目の関ヶ原の戦いでは黒田家はその功績に、徳川家康よりここ福岡の筑前52万3千石を与えられました。
1601年、築城に取り掛かりました。築城とともに光姫は、城と次男 熊之助が眠る玄界灘が見渡せる場所であるここ簀子に圓應寺を建てたのでした。その年には初孫の忠之も生まれました。
如水と光姫は博多商人と茶を楽しんだり、大宰府で連歌をうたったり、圓應寺に出かけたりして隠居生活を送っておりました。子どもが好きだった如水と光姫は毎日のように城下や城外に出歩きました。 長政と如水は相談して完成した城も、福岡城と名付けられました。
こうして黒田家がご先祖様を尊び、骨を埋める覚悟とともについたここ「福岡」で如水は光姫と共に穏やかなわずかな余生をすごしたのです。
如水はあの有岡城の幽閉で痛めた体を療養するために関西に湯治に出向き、1604年3月20日 京都伏見で59歳の生涯を終えました。
如水が亡くなったのち、光姫は出家し、簀子町の圓應寺で念仏を唱える日々を過ごしました。それから二十余年の歳月が経ちました。
「殿 お迎えに来てくださったのですね」
「殿が、長政がつけた福岡を阿弥陀さまのみもとから照らしましょう」
16027年光姫は夫 官兵衛と 息子 長政を見送り75歳の天命を全うしました。
激動の戦国時代、陽に陰にして黒田家と夫の官兵衛如水を支え尽くし、戦国乱世の時代に天才軍師と名高い官兵衛如水に生涯愛された光姫は まさに名の通り 優しく降り注ぐ陽の光のような女性でした。
光姫のお墓は圓應寺にあります。
福岡の繁栄と平和を祈り続けた光姫光姫のたくさんの涙が、たくさんの頬笑みが、たくさんの愛が、今もなおこの地に息づいています。
圓應寺では毎年、ご命日の8月26日前の土曜日に光姫さまをはじめ黒田家所縁の先祖を偲び、大遠忌法要を行っています。
どなた様も、どうぞご参拝くださいませ。光姫さまのご遺徳におすがりして「幸縁」「相和」の思いや願いが叶うかもしれませんね。参拝をお待ち申し上げております。
2023年は8/26です。(詳細は下記の通りです。)
光姫忌2021(395回忌)の模様はコチラ