葬儀
葬儀式
仏教では、諸行無常、そして愛別離苦
この世のすべては移ろいゆき、愛するものとの別れは、誰もが避けることのできない定めであると説かれています。
私たち人間を含む、生あるものは、この世に生を受けた瞬間から、必ず「死」と向き合う存在として生きています。
時代の流れとともに、人々の死生観や暮らしの在り方は変化し、
それに伴い、葬儀の形もまた、簡略化や短縮化が進んできました。
社会の変化により、儀礼や慣習が姿を変えること自体は、自然なことでもあります。
しかし、葬儀が持つ本来の意味だけは、決して失ってはならないものです。
身近な人の死に立ち会う機会は、人生の中でそう多くはありません。
けれども、生きとし生けるものすべてが、いつか必ず死を迎えます。
「死ぬこととは、生きることなり」
大切な人の死に直面するとき、私たちは否応なく、自らの生き方や、命の尊さ、つながりの深さを見つめ直すことになります。
葬儀とは、亡き人を送り出すためだけの場ではありません。
別れを受けとめ、悲しみと向き合い、感謝を言葉にし、
そして残された者が、これからをどう生きていくのかを静かに考える、大切な時間です。
その「向き合い」のひとときを持つことこそが、
葬儀という儀式が、今もなお私たちに必要とされる理由なのではないでしょうか。
寺院葬(圓應寺本堂での葬儀式)
ご葬儀は、近年では専門の葬祭場で営まれることが一般的となりました。
本来、葬儀とは寺院の本堂、あるいは故人が暮らした自宅において、
家族やご縁ある方々が手を合わせ、祈りの中で送り出すものでした。
葬儀社がすべてを取り仕切る形は、確かに便利で整ったものです。
しかしその一方で、別れの時間が慌ただしく流れ、
「故人と静かに向き合う場」が失われてしまうことも少なくありません。
まずはお寺にご相談いただき、故人とご家族にとって
本当にふさわしい送り方を一緒に考えてみてはいかがでしょうか。
圓應寺では、葬儀場でのご葬儀はもとより、
仏さまをお祀りする本堂にて、本来の姿に立ち返った葬儀をお勤めすることも大切にしております。
寺院の本堂は、日常から離れ、自然と心が静まり、
手を合わせることそのものが意味を持つ、祈りのための空間です。
刻々と迫るお別れの時を、ただ流されるのではなく、
お念仏を称え、読経の声に身をゆだねながら、
故人への感謝と冥福を第一に想う
その静かな時間が、悲しみを和らげ、心を整え、
やがて読経のはじまる堂内の厳粛さと深く響き合ってまいります。
「相談してよかった」「落ち着いて送り出せた」
そう感じていただける葬儀こそが、何よりのご供養です。
寺院ならではの荘厳な空間と、祈りを中心とした葬儀を、
どうぞ安心してお任せください。
お寺で葬儀
下炬引導
人は命を終えるとき、迷いの闇にとどまることなく、まっすぐに御仏のみもとへ向かえるよう導かれます。
そのために浄土の門を開き、亡き人の歩みを照らし、導き入れる所作――それが引導です。
導師は、亡者に代わって仏の道を示す存在として、
心身すべてを捧げ、全身全霊でその言葉をとなえます。
引導とは、単なる儀礼ではありません。
「引き入れ、導くこと」「道案内をすること」
仏教においては、迷える衆生を仏道へと迎え入れ、悟りの道へ導く、極めて尊い行いです。
葬儀式の中でも、とりわけ重要とされるのが、
新たに亡なられた方を極楽浄土へと導くための「下炬引導(あこいんどう)」です。
これは、亡き人がこの世への執着を離れ、
阿弥陀仏の光に抱かれて安らかに往生されるよう、
導師が仏の代行として示す、最後の道しるべとなります。
遺族・親族は、この下炬引導のひとときを静かに見守り、
亡き人の歩みを心の中で送り出します。
そのとき自然と口をついて出る「南無阿弥陀仏」の称名念仏は、
何よりの手向けとなり、祈りとなって、亡き人を包み込むことでしょう。
引導とは、亡き人だけのためのものではありません。
それを見届ける私たち一人ひとりが、
「いのちはどこから来て、どこへ還るのか」を深く心に刻む、
仏道への導きでもあるのです。
告別式(焼香)
引導が授けられ、亡き人が仏のみもとへと導かれたのち、
続いて行われるのが「焼香(告別)」です。
この焼香は、新亡となられた方に最後の別れを告げ、
感謝と祈りをそっと手向ける、大切なひとときです。
葬儀の中で営まれる告別式は、現在では焼香を中心として行われることが多く、
葬儀式と告別式を同時に執り行う形が一般的となっています。
引導を見届けたのち、一人ひとりが香を手向け、
心の中で語りかけるその時間は、
亡き人とのご縁を確かめ、静かに別れを受けとめる場でもあります。
告別式が結ばれると、故人は出棺となり、荼毘に付されます。
近年では、告別式の後に初七日の法要をあわせて勤め、
そののち火葬へと向かう形も増えてまいりました。
また、火葬を先に行い、遺骨を前に通夜や葬儀を営む場合や、
葬儀社を介さず、近しい方々だけで静かに見送るかたちを選ばれることもあります。
葬儀の形は時代とともに多様になっていますが、
どのような形であっても、
亡き人を想い、手を合わせ、心を込めて別れを告げること。
それこそが、何より大切な供養であることに変わりはありません。
引導の後の焼香は、
仏のみもとへ向かわれた故人へ捧げる、
最後の「ありがとう」と「安らかに」の祈りなのです。
出棺・火葬・収骨
出棺、火葬、そして収骨へ
別れの歩みは静かに進みますが、その道のりを一人で歩む必要はありません。
悲しみの中にあるときこそ、遺族・親族が互いに支え合い、
同じ思いを胸に、共に送り出すことが何より大切です。
出棺に際し、棺を担ぐという所作には、深い意味が込められています。
お釈迦さまが父・浄飯王の棺を自ら担がれ、
わが国では聖徳太子が父君・用明天皇の金棺を担がれた
その故事に倣い、血縁の深い者が棺を担ぐ習わしが今に伝えられています。
何より大切なのは、「自ら送る」という心です。
その心は、念仏を称えながら故人を見送る祈りと、深く通じ合っています。
再び会うことの叶わない切なさ、言葉にならない思い
それらすべてを抱えながら、
「どうか安楽国に往生されますように」と願う心は、
ただひたすらに念仏を申すことによって、仏さまに届けられます。
葬儀とは、古来より僧とともに営まれてきた、
人生の最期を丁寧に整え、送り出すための、かけがえのない儀式です。
故人が仏のみもとに安らかに迎えられるよう、
私たちは「お念仏」をもって、その歩みをお見送りいたします。
私どもは、葬儀に臨まれる皆さまのお気持ちに寄り添い、
できる限りのご供養を尽くしたいと願っております。
「死」が日常から遠ざかった現代において、
わからないこと、不安に思われることがあるのは、決して不自然なことではありません。
どうぞ、ひとりで抱え込まず、どのようなことでもお寺へご相談ください。
皆さまにとって、心に残る、悔いのない、
最良のお見送りとなりますよう、
ともに祈り、ともに歩ませていただきます。



